【あおによし、奈良】談山神社~明日香 歴史の道をあるく
よくよく考えると前回奈良1回目と言ったのですが、紀伊半島シリーズで十津川村とか洞川温泉の記事を書いていました・・・・すみません。
さて、今回は、談山神社から明日香に抜ける歴史の道をご紹介します。
明日香からこの道を通って談山神社あたりで「大化の改新」の談議が行われたと考えると感慨深いですね。
よろしければ、お付き合いください。
談山神社の西門がスタート地点となる。
今でこそ東大門が表玄関となっているが、おそらく昔は藤原京や平城京に近いこちらの西大門が表口だったのではないだろうか?
それが今や、大門もなく石仏などが残るだけの人通りも少ない寂しい場所となってしまっているが。
明日香までの道はハイキングコースにもなっているらしく、道しるべが整備されているので多分迷うことはないだろう。
また、当然だが談山神社からの方が下り路が多いので楽である。
時間的には1時間半から2時間見ていれば良いかと思う。
西大門跡に、女人禁制の石碑があった。
どうやら明治の廃仏毀釈まではこの付近は女人結界の地だったようだ。
増賀上人墓とハイキングコースの分岐があり、まずは増賀上人墓に立ち寄ることにした。
この増賀上人、今昔物語やつれづれ草などに罹れている高僧だが、名利を嫌ってわざと奇行に走ることも多かったようである。
逸話はググるといろいろ出てくるので、そちらに任せることとする。
分岐点に戻り、ハイキングコースを進む。
途中、自動車道を渡ることになる。
昔は自動車道もなく明日香から談山神社に車で向かうには桜井を経由する必要があったが、この道路ができたおかげで短時間で談山神社や石舞台に行くことが可能となった。
結構、橋を多用して無理くり作った感のある道である。
道すがら見つけたこの植物ご存じだろうか?
葉っぱが緑色の葉と白い葉が混じっている。
これがマタタビ!
花が咲く時期に一部の葉が白く変化して目立たせる。
一説には、虫をおびき寄せて受粉させているとも。
ネコを飼っておられる場合、蔦を持ち帰っても良いかも知れない。
さて、ちょうど工程の半分ぐらいの場所に気都和既神社がある。
この神社の境内は「もうこの森」と呼ばれており、大化の改新で藤原鎌足が入鹿の首に追っかけられてここまでただりついた際に、「もうこぬだろう」といったことに由来するらしい。
神社の境内には不思議なテーブル上の石がいくつかある。
どれが本当のものかわからないが、鎌足が腰かけたと伝わっているらしい。
山を下る。
「左 たふのみね」※、「右 毘沙門天」の道標までくるとすでに明日香の地に入っており、明日香 石舞台も近い。
※ 道標は漢字『多不乃三祢』のくずし仮名で表記を現代かな表示。現代読みで『とうのみね』
ここまで拝読いただきありがとうございました。